啓のメモリアルページ

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2026年1月11日
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ひらくんの居ない一年を、何とか前向きに過ごすことができました。浦安から引っ越す時も、そして熊谷にやって来てからも、大変多くの方々の温かな励ましを受けたからこそと思います。ありがとうございました。相変わらずスロースタート、好奇心過剰、理想高すぎ、なぜか優先順位の最下位から取り組む姿勢を貫いているわけですが、常に大きな夢を持っていることと、文字通り数え切れない楽しい思い出が、私自身を前へと進めることに気が付きました。

皆様、どうぞ心身ともに健やかな年を過ごされますように。

年末年始も片付けで仙台でした。よって、2026年初日の出は太平洋を覆う雲の上から。

2025年9月23日。薄曇りの熊谷です。一気に秋がやって来た感じで、緑が多いこの土地らしく、鳥たちも忙しく冬支度を始めているようです。文字にするのは未だに気が重く、お返事もままならないままで大変申し訳なく思っていますが、皆さんからのお気持ちに感謝を申し上げます。日常では、相変わらず心が温まることと新たな発見・出会いも多く、この感動を皆さんにもお返しできたらと思っています。


2024年9月23日、大変多くの皆さんのご参列とご協力をいただき、お別れの会を行うことができました。心を寄せてくださったことに対し、感謝しても感謝し切れない程です。本当にありがとうございました。明日からまた、素敵な日常生活を送りましょう。

2024年10月17日。先日四十九日法要も終え、また一歩日常です。返信も少しずつさせていただこうと思います。

2024年10月28日。19日(土)に水道橋の宝生能楽堂で、啓の師匠に当たる辰巳大二郎先生の能『船弁慶』がありました。地謡の地頭を家元が務められていたこともあり、能の最後に追加(ツイガ)として、能『融』(とおる)の最後の節が謡われました。

影傾きて明方の
雲となり雨となる
此光陰に誘われて
月の都に入り給ふ粧
あら名残惜しの面影や
名残惜しの面影

身に余るご厚意に、心より御礼申し上げます。祝い事も弔いも、能楽の世界観がとても好きです。
ちなみに、冗談のようですが、ひらくんは能『隅田川』で母親と生き別れた子どもの幽霊を演じています。(舞台上の作り物の中に隠れていて、1時間41分ごろから声が聞こえ始めます)
https://youtu.be/iGBi6cj13cE?si=DH_OtU0LIesE0W9X&t=2513

高い声で「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」を3回謡うのですが、3回それぞれ高低や伸ばし方が違って、覚えるまで稽古をしていました。

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You can use your handle name. Your post will display after reviewed. Thank you so much for your time and sincere heart for Hiraki.
hiroko 投稿日時 : 2024-09-18 @ 9:50 pm
お母さんと手を繋いで横浜までやってきた啓くん。あれは4、5歳の頃だったでしょうか。 お母さんとどのお店でお茶して何を話していたかは覚えていないのに、一つだけ強く覚えていることがあります。駅ビルを歩いていると、あるおじいさんと隣になって。何故か啓くんがそのおじいさんと手を繋いで歩くことに。私だったら自分の子供を見ず知らずの人と手を繋がせるなんてとても考えられなかったのに、徳ちゃんは全然平気そうで。啓くんも最初は戸惑っていたようでしたが、お母さんが大丈夫だよ、って言ったら何事も無かったように手を繋いで。そのまま数メートル、何か話しながら歩いている様子。恐怖心とか嫌悪感とか、、ないのかな?って驚いたのを覚えています。それから、おじいちゃんの幸せそうな顔と後ろ姿も。 それ以降、啓くんとは会ってなかったけど、ここのコメントを読んで、啓くんはそのまんま大きくなったんだな、って。お父さん、お母さん、お兄ちゃんと温かい家庭で育ったからだなって、そう思いました。
管理者の返信 : hirafiore
hiroko, メッセージどうもありがとう。そして、お別れの会のときも、受付等々大変お世話になりました。本当に、みんなに手伝ってもらったからこそ、何とか最後まで進められた会でした。エピソード、みなとみらいでの事だったかな...。外界への警戒心が低くてね。ミラノでも道ゆく人が顔を触ったり、頭をくしゃくしゃっと触ったり、バチンとウィンクして行ったりと、多分動くぬいぐるみと思われていたのではないかと思います。日本でも、小さい頃から隣に座ったおじちゃんおばちゃんとか、電車の車掌さん、美容室のベテランおじちゃん、釣り場で隣にいる人たち等々、静かに知り合いが増えて心地よく暮らしていた感じでした。寂しさはあれども、今全力であることが多分いちばん何だと思います。はるばる熊谷までお喋りにおいでませ!いつもありがとう。頼りにしてます。(2025/9/27 出雲路めぐみ)
お待ちください...