レシピは目安。参考までに。

掲載している分量は、いつも、あくまでも目安です。

お料理会の最中も、「えー、砂糖それしか入れないの?」とか、「ちょっと酸味足りないんじゃないの?」とか、みなさん言いたい放題(^^;

でも、その好みの多様性こそが素晴らしさだし、臆せず自分の感じたことを発せられることが、これまた良い!と思うのです。

ご自分の舌を信じて、「美味しいな~、我ながらさすがだな~」と自分のことを自分で褒めてしまうポイントを探ってみてください。
そして、好みは変わるものだと分かっていれば、柔軟に考えられます。

誰かが決めた味でなく、もっと自由に味も濃さも自在に変えられます。

お子さんに「数字に強くなってほしい!」と望むなら、塾よりも前に、計量をお願いした方が手っ取り早いと考えてしまうのがhirafioreです…(^^;
確かに、足し算も引き算も掛け算も割り算も、感覚的に理解しているようでした…(あの頭の柔軟性が本当にほしい!!)

ついでに…
自分が将来ボケたくないなと思うなら、やっぱり手と頭を動かす機会を作り続けることだと思います。
一品作るだけで、本当に何段階も過程を経ています。いちいち数えたりしませんが、多分凄いです。

仕事を持ちながら、あるいは家族その他のことで物理的に時間を割きながらだと、行き詰まることが確かにあります。
そんなときは、外食もよし、市販品に頼ってもよし、逆にご飯と梅干しだけを家族の批判を受けながら出すだけでもよし。格好を付けても仕方がありませんものね。

ただ、やっぱり食を提供する者がその手に持っているのは、自分、そして家族の命そのものと言っても過言ではないと私は考えています。質量保存の法則により、食べ物(水・空気)以外で生物の身体は成り立たないはず。
この自覚があれば、ふとしたときに、むくむくとやる気が、そして思いがけないアイディアが浮かび上がってくると思います。

時間がかかっても、ご自身のスタイルが見つかるとよいですね!
調味料も味付けも、気長に研究を続けましょう。。

食材の良さ、本当にありがたい

値段は安くとも、捨てる部分が多かったら無駄だなと、あるとき気が付いた私。

振り返ると…
スーパーに行き商品を選ぶ手間、
レジで支払う手間、持って帰る手間、
冷蔵庫に入れ直す手間、
パッケージを開ける手間、
パッケージを捨てる手間、
悪くなるまで保管しておくスペースや通気性、
片付けが行き届かないストレス、
味が落ちたり悪くなったものを捨てる罪悪感、
さらに増えたゴミを捨てる手間、などなど。
出費して、時間と労力を費やした上でこの結果はなんだ…と、我ながら落ち込んでしまいました。

 

忘れもしない、秋の芋煮を作ったときのこと。
ダンナも大好きな郷土料理とあって、専業主婦だった私は張り切って夕飯の準備をしたのでありました。

が、しかし…

でき上がった芋煮が、違う。味が薄いというか、厚みがないというか、深みがないというか、自分の舌の記憶では「芋煮」の領域に入っていないことは確か。

なぜだ…

翌日早速、母に電話してみると、あっさり「生活クラブでも入れば?」。
ははー、そうですか。

というわけで、早速電話して加入手続きをしてみたのでした。
と言っても、このころは2週間単位の注文だったので、発注してから届くまでにしばらーーーく待った後のこと。
みついし昆布」と「われ葉シイタケ」なるものでダシを取って(と言っても、鍋に放り込むだけ)、芋煮にチャレンジしてみたわけです。

これだーーーーーーーーーーー!!

分かりました。第一の原因はダシでした。

そして、

さといももネギもにんじんも、気合の入った減農薬・無農薬の農家グループが栽培したもの、
豚肉は平田牧場のもので、もちろん餌の安全性も確保されたもの、
シイタケも昆布も徹底してこだわり抜かれたもので市販の超高級品の部類に属するもの…
味噌も原料はすべて国産で、そのまま食べてしまえるほどの旨み、
油揚げも全く古い油のかおりがなく湯ぬき不要で、
こんにゃくも量が減らないほどしっかりした作りであることにびっくり…

美味しいんぼじゃないですが、本当にいい意味でショックだったのを覚えています。

どうせ同じ労力をかけるなら、美味しくて安心して食べられる方がいいな~。
単純な判断で、今現在も生活クラブにお世話になっています。

子どもが生まれる前は、終電で帰宅するほど仕事をしていたこともありますが、芋煮を応用して、大なべに作ってはそのまま冷蔵庫で冷やしておいて、帰宅してから食べるという生活でした。

安心して食べられて、一定程度の安全性が確認できるものが、都会の片隅のわが家まで届けてもらえる幸せ。
この仕組みを作った方々、そして今現在支えている皆さんすべてに、心からの敬意と、そして感謝をしたいと思います。
本当に、どうもありがとうございます。

では、今日も、いただきます(^.^)

牛乳、生乳。罪悪感なく飲めるのがありがたい

私の場合…牛乳はほぼ毎朝、カップ1杯ほど飲んでいます。ご飯がすべて片付いて、洗濯物を干しながら…。
実は乳製品は全般的にニガテで、わざわざインスタントコーヒーを加えて(笑)←実家に、いただきもののインスタントコーヒーが常に残っているので消費運動も兼ねて…

子どものアレルギーがひどい時期は、全然飲んでいなかったときもありますが、結果、体重増加と便秘に悩まされていました。
生活クラブの宅配を班にすることをきっかけに、牛乳も飲むようになりました。
期せずして、体重のコントロールができるようになり…現在にいたります。おそらく5年で平均体重が5キロ以上減っていると思います。歳を取ってきたせいもあるかもしれませんが、とにかく不快な便秘からは完全に解放されています。

(牛乳を飲むことだけでなく、小麦の摂取量が大幅に減ったことも大きな要因です。パンやケーキは自作に(自作にすると簡単に食べられないので食べる全体量が減るし、添加物も摂らずに済む)、日常のおやつは子ども目線にして手作りにシフトしていったことがあります。)

母乳で子育てしていたこともあり、私が食べたパンやケーキが原因で、翌日赤ちゃんの顔にひどいブツブツができるのを経験的に知っているので、牛も同様、お母さん牛が何を食べているかが生乳にかなりダイレクトに表れることは容易に想像がついています。
ですから、お母さん牛が遺伝子組み換えでない食べ物を食べ、抗生物質やホルモン剤などの薬を常時与えられることなく健康に育っていれば、当然生乳も質の高いものになるはずです。
夏暑ければ水を飲むので、生乳も脂肪分が減るという、ごく当たり前なことが起こります。 それを飲む私も、夏場は脂肪分よりも水分を欲するので、かえってありがたいわけです。
本当に、うまくできてます…!

 

牛乳や卵、肉のみならず、食べ物についておよその考え方が固まるまで10年弱を要しましたが、知識でどうこうというよりは、今は身体にうながされているような感覚です。

「生活がシンプルだとね(子どもの体調も分かりやすい)」と、たった一言教えてくださったKeiさんは、私が8か月の子を連れて初めて参加した食育講座の講師ですが、その言葉は自分の身体にもあてはまるのだなと改めて感じています。

これからまた歳を重ねることで、どのような味覚になっていくのかは分かりません。
ただ、世の中でどのように騒がれるか、言われているかに惑わされることなく、自分の舌と味覚でそのときどきの自分に必要なものを見極められるようになっていたい。
家族がそのときどきで必要とするものを敏感に感じ取れるようになっていたい。それがすべて、です。

みなさんも、どうぞ時間をかけて、ご自身の身体と向き合ってみてください。ちょっと意識するだけで、まったく労力を要せずに、毎日のコーヒーの苦さや汗のかき具合、身体から出るもののにおいなどから、シグナルを感じ取ることができるようになります。