止まない雨はない、そうぞうと発見は止まない
2021年1月10日パンデミックの収束が見えない中で、9歳児の一言
1歳くらいの子どもを連れて、有楽町線に乗っていたときのこと。
となりに座ったおばちゃまが、「子どもが言葉を覚える過程が楽しくてね…」と話しかけてきた。
小さなノートに、今日は何と言えるようになったかを書き留めておいた、と教えてくれた。なるほど。。
また、大学時代の恩師は、言葉や発想を思い付いたら、その瞬間に捉まえて紙に落とし込んでおかないと、もう二度と浮かび上がらないと言っていたことを思い出した。なるほど。。
だから、私の想い出として。そして、彼らの成長の証として。
止まない雨はない、そうぞうと発見は止まない
2021年1月10日パンデミックの収束が見えない中で、9歳児の一言
ひらくん、だだちゃ豆の殻を堆く積み上げて、大変満足気にお腹をさすっている。
そこで一言。
「次する○○チはみどりいろ」
一瞬考えてしまった…
青虫であるまいし!しかも豆だし。殻は食べてないし。
しかし、私の頭の片隅で、本当はどうなんだろうと疑問が湧いているのを否定できない。
おれ、ミケランジェロよりレオナルドが好き。やさしい感じがする。20171020
はあああああ、そうですか。
お風呂に入るときに、突然言い出した彼。
特に評論するわけでなく、思ったことをただ口にしただけと言う感じだったけど。
確かに、家にウフィツィ美術館の画集(神保町で500円、じーじが思い出に、と買ってきたもの)と、子ども向けの『おはなし名画シリーズ レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ』というのがあって、何回か開いたことはあった。
本物の美術作品は見せたことがないはず…
何かテレビで観たのかもしれない。
でも、きっかけはともかく、両者とも印象には残るのだろう。
何世紀も時代を超えて残っている作品群。彼らの生き方。
子どもは鋭く見抜くらしい。
そう言えば、10ヶ月くらいのときに、おんぶで国立西洋美術館に連れて行ったことがあった。そのとき、最後の部屋で、突然彼は声をあげて笑い出した。ある方向を向いて。
彼の視線の先に近づいてみると、そこにあったのは『心を病む女』。その当時の表記は『狂女』であった。
http://collection.nmwa.go.jp/P.1960-0001.html
3歳頃であろうか、次に連れて行ったときには、最終の部屋で白い現代画を観て大笑い。
私はシニャックを観たくて行っていたのだが。
そうそう、京都の智積院に行ったときに、長谷川等伯の作品を観に行ったときには、温度と光が管理されたその部屋に入った瞬間に、つかつかと前に進み出て、急に正座して作品を見だした。
2回目もそう。でも3回目になったら、正座はしなかった。
本当のところ、驚くのは周りの大人だけれど、他でもない私である。
この子は、いや、この人は、別人格だと思い知らされる。私が何も分かっていないこと、何も分かりようもないことを、ズーンと投げかけられる瞬間。
あったかいご飯を用意することに専念すれば良い、とおもうわけでした。
ひいばばに長生きしてほしい。いっせいき、生きてほしい。20171020
「一世紀」が100年と知って、92歳のひーばーちゃんのことを思ったらしい。
一世紀生きるっていうと、確かにすごい感じがする。
最近、妙に体の調子が良いらしく、寝てばかりの割には外にでたがるとのこと。ばーばは、本当に気が抜けない感じ。
もう一人のひーじーちゃんもまた、92歳の同級生。一世紀生きられるかどうか。
二人については、私も思い出がいっぱいで、記事にしたら本当に山盛りになりそう。もう本当におじいちゃんとおばあちゃん、世に言う介護の真っ只中だけれども、本当に世話になったとおもう。育ててもらった。
ひーじーちゃんは、2年ほど前まで、炎天下の下で農作業に勤しむ働き者。世界最高じゃないかとおもう。あの、手。あの、表情。
ひーばーちゃんは、本当に適当な人だったけど、あのいい加減さが自由人の私には良かったのかもしれない。乗り越えるべき壁にならない人間、生き方。
それにもまして、私の丈夫さはひーばーちゃんの系統の体力であろうと思われる。体型もよく似ている。
そんなこんなで、一世紀。
なんだ、私、まだひよこだな。
『モンゴルまどがらす』に勝たないとならないって。
ひーくん、『三羽ガラス』でしょ😅
だって☺