次する○○チは緑色

ゆでたてだだちゃ豆

ひらくん、だだちゃ豆の殻を堆く積み上げて、大変満足気にお腹をさすっている。

そこで一言。

「次する○○チはみどりいろ」

一瞬考えてしまった…

青虫であるまいし!しかも豆だし。殻は食べてないし。

しかし、私の頭の片隅で、本当はどうなんだろうと疑問が湧いているのを否定できない。

おれ、ミケランジェロよりレオナルドが好き

おれ、ミケランジェロよりレオナルドが好き。やさしい感じがする。20171020

はあああああ、そうですか。
お風呂に入るときに、突然言い出した彼。

特に評論するわけでなく、思ったことをただ口にしただけと言う感じだったけど。

確かに、家にウフィツィ美術館の画集(神保町で500円、じーじが思い出に、と買ってきたもの)と、子ども向けの『おはなし名画シリーズ レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ』というのがあって、何回か開いたことはあった。

本物の美術作品は見せたことがないはず…

 

何かテレビで観たのかもしれない。
でも、きっかけはともかく、両者とも印象には残るのだろう。
何世紀も時代を超えて残っている作品群。彼らの生き方。

子どもは鋭く見抜くらしい。

 

そう言えば、10ヶ月くらいのときに、おんぶで国立西洋美術館に連れて行ったことがあった。そのとき、最後の部屋で、突然彼は声をあげて笑い出した。ある方向を向いて。

彼の視線の先に近づいてみると、そこにあったのは『心を病む女』。その当時の表記は『狂女』であった。

http://collection.nmwa.go.jp/P.1960-0001.html

 

3歳頃であろうか、次に連れて行ったときには、最終の部屋で白い現代画を観て大笑い。
私はシニャックを観たくて行っていたのだが。

 

そうそう、京都の智積院に行ったときに、長谷川等伯の作品を観に行ったときには、温度と光が管理されたその部屋に入った瞬間に、つかつかと前に進み出て、急に正座して作品を見だした。

2回目もそう。でも3回目になったら、正座はしなかった。

本当のところ、驚くのは周りの大人だけれど、他でもない私である。
この子は、いや、この人は、別人格だと思い知らされる。私が何も分かっていないこと、何も分かりようもないことを、ズーンと投げかけられる瞬間。

あったかいご飯を用意することに専念すれば良い、とおもうわけでした。

 

 

 

ひいばばに長生きしてほしい。

ひいばばに長生きしてほしい。いっせいき、生きてほしい。20171020

「一世紀」が100年と知って、92歳のひーばーちゃんのことを思ったらしい。
一世紀生きるっていうと、確かにすごい感じがする。
最近、妙に体の調子が良いらしく、寝てばかりの割には外にでたがるとのこと。ばーばは、本当に気が抜けない感じ。

もう一人のひーじーちゃんもまた、92歳の同級生。一世紀生きられるかどうか。

二人については、私も思い出がいっぱいで、記事にしたら本当に山盛りになりそう。もう本当におじいちゃんとおばあちゃん、世に言う介護の真っ只中だけれども、本当に世話になったとおもう。育ててもらった。

ひーじーちゃんは、2年ほど前まで、炎天下の下で農作業に勤しむ働き者。世界最高じゃないかとおもう。あの、手。あの、表情。

ひーばーちゃんは、本当に適当な人だったけど、あのいい加減さが自由人の私には良かったのかもしれない。乗り越えるべき壁にならない人間、生き方。
それにもまして、私の丈夫さはひーばーちゃんの系統の体力であろうと思われる。体型もよく似ている。

そんなこんなで、一世紀。

なんだ、私、まだひよこだな。